第17回「シャーペン禁止令」

 私の通った小学校には、これといった校則が提示されていなかった。
 とは言っても、もちろん何でもアリだったわけではない。
 担任の先生が持っている「小学生はこうあるべき」というモラルが、
 その先生のクラスに振り分けられた小学生を縛る唯一無二の絶対的な校則。
 だからクラスによって厳しいクラスもあれば甘いクラスもあった。
 今思えば理不尽な話だが、それが当たり前だと思ってたんだから仕方ない。

 たいてい学校に持ち込み禁止の物イコール「勉強に必要のないもの」で、
 ゲーム機や雑誌などの娯楽道具はもちろん駄目。
 それはちゃんと小学生ながらもみんなしぶしぶ了解していたが、
 私が小学校4年の時のクラスでは奇妙なものが持ち込み禁止とされていた。

 それはシャーペン。

 何故禁止されていたのか、今も不思議でならない。
 別にシャーペンなんてものは昔から存在したし、みんな使っていた。
 小学校低学年の子は、入学祝いでもらった名前入りの鉛筆を使っていたが、
 さすがに4年生ともなると、普通はみんなお気に入りのシャーペンを使う。
 しかし私の所属した4年1組では所持を許されていなかった。
 たしか持っているところを見つけられたら、没収されていたと思う。

 この意味不明かつ理不尽な法令に、遠藤君は1人で立ち向かった。
 でもその先生に抗議したり、教育委員会に直訴したりしたわけではない。
 語尾に「ザマス」をつける教育ママに言いつけたわけでもない。
 当時、見ためは鉛筆だけど実はシャーペンという珍商品があった。
 このシャーペンを使うことで、彼は先生の暴挙に小さな反旗を翻したのだ。

 しかしシャーペンは頭の部分をカチカチ押して芯を出さなければならない。
 そんなことをすればいくら鉛筆の形に似ていても、先生に気づかれてしまう。
 その問題点をこの商品はよく考えて作られていて、
 芯が短くなると自動で出てくるという当時珍しい自動式シャーペン。
 まさにシャーペン禁止令を発動されている我々4年1組のために
 開発されたような夢のシャープペンシルだったのだ。

 遠藤君が持ってきたこのシャーペンは人気となり、クラス中に普及し、
 「これで心置きなくシャーペンを使える」と誰もが喜んだ。
 しかしこのシャーペン、
 自動式なんていう先進的な技術を早く取り入れすぎたために
 やたらと芯がペン先でつまり、すぐに壊れるという欠陥を持っていた。
 普通のシャーペンなら誰でも簡単に直せるが、
 自動式シャーペンともなると構造が複雑で、バラせても元には戻せない。
 そんな複雑な修理をクラスで唯一できた人物が、メカに強い遠藤君だった。

 鉛筆風シャーペンを1組に最初に輸入したのも彼だったということもあって
 壊れたそのシャーペンの修理は遠藤君のもとへ殺到した。
 気の良い彼は修理費など請求することなく、
 無料でみんなの壊れたシャーペンを次から次へと修理していった。
 授業中に。

 もちろん修理現場を先生に見つかり、シャーペンの存在も明らかとなった。
 遠藤君の持っていた鉛筆風シャーペンは没収され、
 みんなもそのシャーペンを学校に持ってくることはなくなった。
 その後もシャーペン禁止令に対する不満はクラスに漂ったが、
 5年生に上がった時のクラス担任教師は
 シャーペンについて何も言わない人だったので、禁止令は自然消滅した。

 結局どうしてシャーペンが使用禁止されたのかは未だによく分からない。
 もしいつか4年1組同窓会が開かれたら、「シャーペン禁止令」について
 発案者の小泉先生にその発令意図を聞いてみたい。
 でも当時独身だった女性の小泉先生が、
 その後2度ほど苗字が変わったという噂を耳にしているので
 そんな昔のしょうもないことなんて覚えているとは思えないけど。

 

vol.017 11月29日号 193部

一番反響が大きかったネタがこれ
遠藤君については色々逸話があるのでそのうち書きます